デザインを学んだ長兄、漆職人として親父に師事していた次兄、木工を修業した私・・・。長兄は、従来の木地・塗り・加飾それぞれの職人によって分業されてきた体制を見直し、一貫制作できる工房を「漆器屋からの提案」として考えていました。
 この構想目的は、一貫制作だからできうる漆器の「修復」にありました。漆器は長く使えるし、はがれや傷も直せます。しまいこんでおいても惜しいし、商売とは別のスタンスでお直しさせていただきたい、このような思いがあったのです。しかし、当時は適当な方策やマニュアルがなかったため、実現せぬまま長兄は他界しました。その後温存してきたこの夢は、平成七年、「思い出工房」の設立によって実を結ぶことになりました。お直しにかかる費用は、幾パターンにも分けて提示し、どの程度まで修復するかは、最終的にはお客さんの判断に委ねています。初めは、他人の作ったものを直すことに抵抗がありましたが、それ以上に思い出を残したいというお客さんの真剣な思いに打たれて、悩みもふっきれました。
 日々の仕事の中に、この修復の仕事が入ってくると、どうしても段取りや予定が狂ってきます。しかしやってるうちにわかったことは、これは健康的な中断だということでした。京都においては、職人さん一人一人の誇りや責任が表面化しにくいので、もの作りが作業的になる危険性が絶えずあります。そこに修復の仕事が入ってくると「これだけの思いが詰まる、長く使えるものを作りたい」という心が、一人一人に呼び起こされ結果として良いものが出来上がるのです。今では、この「思い出修復」は、本来のもの作りの姿勢を再確認させてくれる、かけがえのない仕事となっています。